一昨年、14歳半の愛犬を見送った。
彼女は、40キロを超える大きな子供で、後ろ足は弱っており
亡くなる三日ほどまえから立つことがおぼつかないのであったが
最後の日にさえ、ふらふらと起き上がり外で排泄を済ませるという
生ける物としては、まったく立派な最後の一日でした。
私はかねてより看取りの達人、柴田久美子さんからの薫陶をうけていたので
彼女との最後の別れにすべきことは、ある程度は知っていたつもりである。
息がくるしそうな彼女を見守っていると
やがて、瞳は透き通っていった。
それは、別れの合図なのだ
私は愛おしさで胸をつまらせながらも、抱きしめて
最後の呼吸を腕の中で見つめることで、死を実感した
亡くなる半日くらいほども前からは
彼女はうつつと、どこかをとっくに行き来していたのだろうか?
視線を交わすことも無くなっていた
柴田さんの看取り経験を色々と伺ったお話の一つとして
別れのとき、落ちていく肉体のエネルギーとは真逆に
魂のエネルギーは高まり
抱きしめる者に、大きなエネルギーをバトンのように置いていくというのだ
そして、室内はキラキラと輝くそうなのである。
私には経験もないし、サイキックでもないので、そのような事は
一つも解らないままの別れではあったのだが
柴田さんのおかげで、おだやかな優しい最後のお別れができたと思える。
私が16歳の時に体験した母との別れは
すでに呼吸の止まった母の裸の胸に
強心剤を医者が直角に突き刺すシーンが記憶から消えない。
看取り師 柴田久美子さん
和みの里 http://nagominosato.org/
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