2012年3月29日木曜日

HOKKAIDO木村秋則自然栽培農学校 開校記念講演

3月24日(土曜日)札幌市内のあじとhttp://www.itadakimasu-jp.net/hibino/に於きまして、Hokkaido木村秋則自然栽培農学校、開校記念講演会が開催されました。  約20年前に余市郡仁木町で起こった通称「りんご裁判」のいきさつを当時被告側を弁護した村松弁護士。そして当時、無農薬でリンゴの栽培が軌道に乗り出したという木村さんは証人として、その現場に居たのです。

その当時、農薬の害を学んだ村松先生は、ザワッとしてしまった。
そこから自然栽培農学校は始まったのですね。

先日、国会の予算委員会で農水大臣に、自然栽培を承知しているかと、その答えは、国内の至る所で聞き及んでいると答えたそうです。
北海道にも自然栽培普及の萌芽は始まったようです。

(右側は
北海道における食の語りべ、星澤幸子さん)

2012年3月27日火曜日

HOKKAIDO 木村秋則自然栽培農学校 祝開校

3月24日(土曜日)自然栽培農学校、スタートいたしました。  
実習現場は余市郡仁木町の農場です。
25日はまだ深い雪の中、早朝8時からボランティアスタッフたちが雪かきをしてくれて、そのような下支えの中、当学校の事務局として高き到達点を目指して登山口に立ったような引き締まる思いの二日間でした。

木村秋則校長をリスペクトする人達、そしてオーナー村松弁護士への敬意を含めて、意義を同じくする同士達が仁木において過去二年間自然栽培農場を支えてくれました。
そのボランティア精神のお陰で開校までこぎ着けたのです。
人が、何かに奉仕する精神とはこのように大きな力となるのですね。
将来は、ここで学んだ生徒たちが口伝えで自然栽培を大きく広げてくれることでしょう。
農薬も、肥料も使わない。大自然にとっては堆肥も異物でありその危険を学ぶ。それを北海道に広げて行くという命題があるのですが今回二日間、木村秋則校長と時間を共有して感じたのは、農法を学ぶ最中にも何度も重ねて伝えてようとしていたのは、「考えること、観察すること、植物の目線」と、何度も言っておられました。実践的な技術の前に、それが常に最初にある授業でした。  
最後に、車中で村松弁護士と、印象的な会話がなされていたのですが。

失敗した農家さんは、皆おなじ事を言う。「こんなに頑張ったのに、、、」  木村さんは、どうして「もっと頑張れなかったんだろう」と思わないのかって。  今後、スポーツクラブで腹筋するとき思い出したいと思います。      英語で農業はアグリカルチャーと言いますが、農業とはカルチャー(文化)以上の哲学さえ感じてしまう時間でありました。  木村さんってUFOに乗せられたり、龍見たり、いったいほんとにフツーの人間なんだろーか?   木村さんが一人きりでお部屋に居られるとき、「決して覗いてはいけない」たぐいの人かもしれません。

NVC 共感のコミニュケーション リトリート7月開催決定


NVC(共感のコミュニケーション)リトリート

2012年7月14日(土曜日)から15日(日)

講師:きくち ゆみ

ローフードで過す二日間:食事(全てローフード)宿泊込み28000

土曜日AM10時集合、10時半スタートで4食込み。PM9時まで、(3時のローフードスイーツ込み)

日曜日はAM9時からPM5時終了(朝のスムージー、ランチ、3時のローフードスイーツ込み)

宿泊と講義、食事トータルで28000



土曜日一日プラン:8500AM10時半-5時終了ローフードランチ+ローのスイーツ込み講義とトータルで8500



日曜日一日プラン:8500AM10時半-5時終了ローフードランチ+ローのスイーツ込み講義とトータルで8500



7月14日(土)は「怒り」に特化した講義を致します

7月15日(日)のテーマは未定です



きくちゆみさんのブログ
http://kikuchiyumi.blogspot.jp/
 

NVCのホームページ
http://www.nvc-japan.com/       

2012年3月21日水曜日

HOKKAIDO 木村秋則自然栽培農学校

2012年3月24日、開校
北海道、仁木町で
生徒約50名による、自然栽培を学ぶ場が開かれます。

農学校、開校への機運は
仁木町において、約20年前に起きた「無農薬裁判」に始まりました。
まさに、ほぼ同じ場所、裁判にかかわりを持った木村秋則さん、村松弁護士による
自然栽培農学校が開校になります。

3月24日(土)開校記念講演が札幌の「あじと」にて開催(要予約)一般1500円
http://www.itadakimasu-jp.net/hibino/

講演内容は「20年前に起きた無農薬裁判とは、そして自然栽培農学校開校の歴史的意義を語る」

講演者、木村秋則、村松弁護士、星澤幸子。約1時間半

2012年3月15日木曜日

ブータン06

旅の後半、二泊したホテルはブータンでも指折りの格式あるホテルだったのだと今、地球の歩き方を読んで知った。     我々、旅の一行はリゾートやエステを求めた旅では無かったので最後の夜から旅立ちの朝まで停電したことについては、それがどうしたくらいの笑いで済む面々であった。


紅茶色の湯に浸かり、栓を抜くとあらら、泥がこんなに入ったミネラル湯だったのね。        まあ良いではないか。


ホテルではこのように、旅人にも環境への配慮をお願いするというスタンスなのである。      

RAWFOOD ローフード

春のほうれん草ピーナッツクリーム和え
ほうれん草はあらかじめ、ほんの少しの塩でしんなりさせる。そうしてピーナッツクリームと和えるだけ。  ピーナッツクリームレシピ→ピーナッツバター大匙3、醤油小さじ3、アガベシロップ(メイプルシロップでも可)小さじ1、レモン汁小さじ1、ニンニクおろしひとかけ、しょうがすりおろし小さじ1.、これらを混ぜ合わせる。甘み等、お好みでどうぞ。オーガニックのほうれん草は味が濃いから、濃い目の味付けに合わせてください。

バターピーナッツは札幌のクスクスオーブンにて販売のものは甘みフリーです。http://www.couscoushoppers.com/

RAWFOOD  ローフード

ウオールドーフサラダ                

リンゴ、セロリ、くるみ、千切りキャベツ、これらをカシューマヨネーズで和える。

カシューマヨネーズの造り方、   カシューナッツ(カップ三分の二)をソークさせ(二時間以上水に漬ける)ミキサーでガーする(水カップ二分の一込み)   調味料はレモン汁大匙3、塩コショウ少々。マスタード大匙3、お好みでアガベシロップ。

最近見かけたのですが、札幌の円山クラス内食材屋さんジュピターで、アガベシロップ見ました。http://www.agave-syrup.com/agave/index.html
アガベシロップとは加熱されていない植物から抽出した甘味料です。
蜂蜜も非加熱の物は酵素が元気なRAWFOODです。
    

ブータン05

旅から戻り一週間を経たのだが、少しずつ旅の記憶が薄らいできた。 少し急いで記録をまとめなければと思う。                   ブータン国民はほとんどが農民である。他は観光業が主体なのである。写真の光景はブータンでは良くある景観なのでありますが、山間に広がる農村風景である。    学校から戻った子供たちも農作業を手伝っている光景。              通訳を介した会話なのだが            問い「科学肥料は使わないの?」         答え「まさか!」 


右の写真の説明だが、手前の四角いブロックは土と針葉樹の葉を混ぜて固めた住宅建築資材だそうです。  近隣の住民が集まり家を新築しているのだろう。   我が国内で今風に言う、「エコビレッジ」ですね。

 ブータンには地域によっては夜這いの習慣がまだあるそうなのである。  子孫繁栄のためには、それが自然という事なのでしょうか?
このエリアに関わらず、農村ではなぜか離婚率が高いそうである。それはなぜなのか?短い時間の訪問ではうかがい知る事はできませんでした。   江戸文化華やかなりし頃、7回離婚歴がある女性ありと、田中優子せんせいより伺う。  江戸の頃、より良い稼ぎの男子に鞍替えすることの倫理観は、いささか合理的だったようである。






この豚君、20歳。                     ブータンの人は殺生をしないのである。       しかし、インドから輸入された肉は食べるという、ゆるーい矛盾もこみこみ。

2012年3月13日火曜日

ブータン04

2012年2月29日に出発したブータンツアーは、ナマケモノクラブ主催http://www.sloth.gr.jp/のGNHを識る旅なのでありました。   旅のツアーコンダクターはお写真に写る辻信一先生であります。(1952年東京生まれ。明治学院大学国際学部教授。専攻は文化人類学)               お隣のキリリとした佇まいの女性が江戸研究、そして世界中の民族がはぐくむ布を研究されている法政大学社会学部教授の田中優子先生であります。

和服ならびに民族衣装好きの私としては、田中先生との邂逅などめっそうもない、ひれ伏したくなる時間でありました。  旅の途中、パーティーでは辻先生のリクエストでキモノ姿。締めておられる帯の柄行が「唐辛子」であります。敬意を表す素敵な選択ですね。  ブータンの国民食なんです「唐辛子」。   合わせて纏われたキモノは沖縄の絣なんだそうです(絣の名前は失念)。藍色というのはどの国、どの場所においても悪目立ちすることなく馴染む素敵な染め色なのだと改めて感じ入るのでした。                                   ジーンズがそうですよね、シャネルのジャケットとすら馴染んでしまうのは藍色の持つ包容力なのかもしれません。


さてさて、田中先生共々食い入るように見つめたこの写真のお方たちの衣装。           この方は、ブータン北部ガサ地区の少数民族ラヤ族の方で、祭りの賑わいにの場へ、おみやげ物を売りに来ておられました。  遠方から写真を写しましたから衣装のディテールがわからなくて凄く残念ですが、腰に巻いた布はシッカリと詰った感じのウール地のように見えました。色合いがチャコールグレイで、ほんの少しの鮮やかな刺し色がストライプ柄で入っていたように記憶しております。  もし、可能であるなら、「その着ている服を売ってオクレ」と、いわば追い剝ぎしたかった   

2012年3月10日土曜日

留守番ネコちゃん

9日間のブータン旅行で唯一気がかりだったのは、この仔なのである。    淋しい思いをさせてしまい帰宅後の2時間以上はネコちゃんのご機嫌とりにかかった。

ブータン03

ブータン伝統治療院を見学させて頂きました。  ブータン医療の根幹は、チベットと中国の医療が融合して完成された                                                  標高3000メートルから5000m間に自生する135種類の野草が主に医薬として利用するそうだ。              岩、土、石などのミネラルも用いる。   しかし、なかには低地で採取される物もあり、クローブ、カルダモン、サフラン、ナツメグ他、インドでしか採取できない竹のヤニが用いられる。              三つの毒→仏教の教えではこれが病原因であると言う。 「貪欲、怒り、無知」  思い当たる事もないではないようだ。       それから世界の五つの元素(エレメンツ)、「火、水、土、空気、空間、」そして人体の五つの輪というお話を伺った。  それは1・頭頂部→感覚器官 2・喉→六つの味を司る 3・心臓→感覚器官の明瞭な意思 4・おへそ→妊娠、発達の器官 5・性器→種の保存 ということだそうだ。    そして、具体的な診断を下すためのいわば検査としては(病の原因を探す手段)「尿を見る、食事療法、脈のパルスを診る、問診、瞑想、心理的カウンセリング、静養、涼しいところで暮らす、運動する、火にあたる」その後、診断が下されたあとは瀉血、薬草湯、薬草を患部に直接スチームであてる等のセラピーを行う。                                                       ブータンの医療費は無料である。さらに西洋医療、伝統医療はこの国において対等な位置ずけなのだ。  国民は、西洋医療、伝統医療のどちらか先に、またはその両方を用い、いわゆる統合医療を受けることが可能なのである。    さて、わが国ではいったい伝統医療とはどのような評価なのだろう。  もちろん統合医療などは認可されてはいない。                        辻先生はhttp://www.sloth.gr.jp/tsuji/profile.htmlわが国医療の現状についてこう述べた。             「わが国の伝統治療(鍼灸師、漢方医など)は診断をしたら法律違反という扱いで、日本文化の治療を蔑んですらいる」      


そうして、わが国においては、統合医療すら認めらていないという現実がある。




2012年3月9日金曜日

ブータン 02

ブータンでは1955年まで、冬の首都と夏の首都が合理的な事に別であったのだ。
標高1350mのプナカは、亜熱帯の気候で全般的に標高の高いブータンの中でも冬は過ごし易い地域なのでしょう

冬の首都、プナカではドゥクバ・クンレという性豪の聖人伝説が残る。   ゆえに、家々の壁には至る所に性豪のお印が描かれており、おおらかな佇まいの町であった

このたびの旅の同行者である文化人類学者の辻先生の考察では、性の開放こそ、この谷あいに住む人々の遺伝子が濃くなってしまう事を避けるための古人(いにしえびと)の知恵であったのだろうとの事。

殺生をしない、そして犬猫への施しもブータン人の常ゆえ、猫たちにとっては平穏な日々なのだろう

2012年3月8日木曜日

ブータン 01

  ティンプーというブータンでは都市化の進んでいる町での早朝風景。    緯度が高く、空気は澄み渡っていた 
加工食品の少なかった頃、昔は皆、このような販売スタイルが持続可能であったのだ。
お国が変われど、落書きは似たような物と確信を持たざる得ない。   ティンプー市内のスーパーマーケットにはインドから輸入された添加物の入った食品がスペースを占めていた。