2012年1月25日水曜日

死を想う

大寒を迎えた翌日の未明
16歳半になる老犬が老いの末、孤独に旅立っていった。
連れ合いにしかなつかない仔で、散歩に私が連れ出した折には首輪を強引にはずして
帰ってしまうくらいパパと一緒でなくては、ならない仔。
何の因果か、我が連れ合いは彼が亡くなる三日前より遠方に出張してしまい
孤独に逝かせるのは忍びない事で、夜半過ぎまで付き添っていたのだけれど
彼は、朝方に一人で逝ってしまった。

母を亡くした時、
16歳だった私は世界が止まったかのような絶望感の深みにいた
火葬場に向かう車中
銀行や商店などの社会は普通に機能していることを、不思議な想いで見つめていた。
その後、十二分に大人になり
父との別れに至っては、父親の老いを受け止めながら、
その果ての事であり
それは、四季の移ろいには誰もが逆らえないような
無抵抗なままの辛さを受け止めたように思う

その他にも
愛するペット達との別れを幾つか

体験を重ねるごとに
死を受け止めることに慣れてきた感がある


色々な葬儀の場面で
その喪主のご家族の中でも高齢者が
落ち着いた佇まいを見せていることに、ある時から気ずいていた
葬儀の場面で一番、威風堂々と貫禄をかもしているのは
大概、高齢者である


そういう事なのかもしれない

ただ
会いたいと想う気持ちはいつまでも枯れることが無い
愛する、動物たちにも同じである

別れの悲しみと、喪失感は似て非なるものなのだろう

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