大寒を迎えた翌日の未明
16歳半になる老犬が老いの末、孤独に旅立っていった。
連れ合いにしかなつかない仔で、散歩に私が連れ出した折には首輪を強引にはずして
帰ってしまうくらいパパと一緒でなくては、ならない仔。
何の因果か、我が連れ合いは彼が亡くなる三日前より遠方に出張してしまい
孤独に逝かせるのは忍びない事で、夜半過ぎまで付き添っていたのだけれど
彼は、朝方に一人で逝ってしまった。
母を亡くした時、
16歳だった私は世界が止まったかのような絶望感の深みにいた
火葬場に向かう車中
銀行や商店などの社会は普通に機能していることを、不思議な想いで見つめていた。
その後、十二分に大人になり
父との別れに至っては、父親の老いを受け止めながら、
その果ての事であり
それは、四季の移ろいには誰もが逆らえないような
無抵抗なままの辛さを受け止めたように思う
その他にも
愛するペット達との別れを幾つか
体験を重ねるごとに
死を受け止めることに慣れてきた感がある
色々な葬儀の場面で
その喪主のご家族の中でも高齢者が
落ち着いた佇まいを見せていることに、ある時から気ずいていた
葬儀の場面で一番、威風堂々と貫禄をかもしているのは
大概、高齢者である
そういう事なのかもしれない
ただ
会いたいと想う気持ちはいつまでも枯れることが無い
愛する、動物たちにも同じである
別れの悲しみと、喪失感は似て非なるものなのだろう
0 件のコメント:
コメントを投稿