2012年1月18日水曜日

看取る

一昨年、14歳半の愛犬を見送った。
彼女は、40キロを超える大きな子供で、後ろ足は弱っており
亡くなる三日ほどまえから立つことがおぼつかないのであったが
最後の日にさえ、ふらふらと起き上がり外で排泄を済ませるという
生ける物としては、まったく立派な最後の一日でした。

私はかねてより看取りの達人、柴田久美子さんからの薫陶をうけていたので
彼女との最後の別れにすべきことは、ある程度は知っていたつもりである。


息がくるしそうな彼女を見守っていると
やがて、瞳は透き通っていった。
それは、別れの合図なのだ
私は愛おしさで胸をつまらせながらも、抱きしめて
最後の呼吸を腕の中で見つめることで、死を実感した

亡くなる半日くらいほども前からは
彼女はうつつと、どこかをとっくに行き来していたのだろうか?
視線を交わすことも無くなっていた

柴田さんの看取り経験を色々と伺ったお話の一つとして
別れのとき、落ちていく肉体のエネルギーとは真逆に
魂のエネルギーは高まり
抱きしめる者に、大きなエネルギーをバトンのように置いていくというのだ
そして、室内はキラキラと輝くそうなのである。

私には経験もないし、サイキックでもないので、そのような事は
一つも解らないままの別れではあったのだが
柴田さんのおかげで、おだやかな優しい最後のお別れができたと思える。
   

私が16歳の時に体験した母との別れは
すでに呼吸の止まった母の裸の胸に
強心剤を医者が直角に突き刺すシーンが記憶から消えない。



看取り師  柴田久美子さん
和みの里 http://nagominosato.org/

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